1970年6月16日生まれ。A型。
上智大学経済学部経営学科卒。…(詳しく)

【あしたね 】
小学生や中学生の職業調べ学習にもぴったりな仕事・職業インタビューを掲載

【OJT“見える化”ツール〜共育サーベイ 】
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第1話 一人ひとりの意思が未来を変える
日本人の特長として“調和”があると言われますが、私はまさにその通りだと思います。
高校時代、こんなことがありました。
私が通った高校は、ブラジルやアメリカ、中国、韓国といろんな国籍の人が集まっているブラジルのインターナショナルスクールでした。文化、宗教、国民性などの違いからいざこざが起こることもよくありましたが、その間で私は自然と調整役としての力を発揮することができたのです。私自身の性格もあったのかもしれません。しかし、客観的に冷静になり、かつ調和を重んじる日本人としては当たり前の調和の意識から起こった結果ではないかと感じた出来事でした。そうした背景もあり、その後その学校で日本人初の生徒会長に就くことにもなったと思います。
「世界の問題の多くも、学校の出来事と同様に日本人が調和型のリーダーシップを発揮することで解決できる」と思いはじめたのはこの頃でした。
ウィル・シードは、教育ビジネスを通して“一人ひとりが意志を持ち、社会と関わりながら、自分らしく生きていける世の中を実現する”ために設立した会社です。
小学生から大学生を対象とした子ども向けの「学校教育事業」、新人・若手をはじめとしたビジネスパーソン向けの「企業内人財開発事業」を展開しています。
「自己発見」「体験型」教育プログラムで、全国90以上の自治体で630校の小中学校と、大手企業を中心とした350社を超える企業にて導入実績がありますが、設立当時は私を含めたった3名。ビジネスとして学校教育を確立することは難しく、実績のないベンチャー企業ということでなかなか受け入れられない厳しい時期がありました。
もともと私には起業したいという願望はこれっぽっちもなく、むしろ起業は「金儲け=悪」とさえ思っていたのです。そんな私が起業家の道に進んだのは、「早く世の中を変えなくては」という使命感があったから。
まずは、私の学生時代からお話します。
大学時代に訪れたフィリピン。予想もしなかった衝撃
部活を引退後、卒業旅行としてアフリカ、ヨーロッパ、東南アジアなど3ヶ月ほどかけていろんな国に行きました。その中で一番印象的だったのがNGOのフィリピンスタディーツアー。訪れたスラム街は、思った以上に衛生的。といっても建物がボロく、贅沢するところはない環境でした。しかし、それにも関わらず、住民の目がキラキラしていたんです。踊りと歌と祈りだけで人生をシンプルに楽しんでいる姿。それは、「彼らは貧しく不幸せである」という先入観から助けようと訪れたつもりの私にとっては衝撃でした。何も持たない彼らの方が精神的に豊かで、物質的に満たされた私たち日本人の方が精神的に貧しく思えたのですから。
ツアーは、ストリートチルドレンやスモーキーマウンテン、マザーテレサの家、綺麗なリゾートなど、意図的に異なる環境や地域を巡るものでした。原住民の村では、まだ戦争の傷跡が色濃く残されており、アフロヘアーでほとんど裸の人たちが戦時中に日本人から学んだのであろう「くそったれ。馬鹿やろー」など人を罵るような汚い日本語や、戦時中の日本の歌を覚えていました。対して、金持ちの家では、数百足もの煌びやかな靴がズラリと並べられていました。さらには、賢い人を増やさないよう、故意に教育を受けさせないといった酷い政治をする地域もありました。
自分の見たことのない世界がいろいろとそこにあったんですね。確かに貧しくても幸せな人も見ましたが、とはいえ最低限の衣食住が揃っていない人も多い。「この貧富の差を引き起こしているものは何なんだ」と考えたときに南北問題の本当の意味、本質を知りました。もちろん学校の授業で習ったことはありましたが、このツアーに参加したことで、単なる暗記する言葉としてではなく、実際の社会の構造、その意味をリアルに学びました。そして、自分の無知さ、人間の無知さがいかに危険かという危機意識が生まれました。
日本に戻り、友人に見てきた世界の現状を話しました。しかし全く伝わらないという体験をしました。さらには「1ヶ月前までは船橋も俺らと同じだったじゃん」と言われてしまいました。
その時に、「社会に対しての会話、関心、問題意識があまりない同世代の仲間が、海外と比較して多いな」と大学に入り感じていたことを再度強く感じました。平和な日本で島国である事情から、違うもの、外のものに触れる機会が圧倒的に少ないということもあるし、学校教育で外のことに目を向けたり、興味関心を引くことをやってこなかったからかなと思いました。
それでも「もっと世の中をよくしていきたい、もっと社会の構造を知っていかないと不味い!」という想いは強まるばかり。その時からどうしたらそれができるのかを、漠然と考えるようになりました。
- 第1話 一人ひとりの意思が未来を変える
- 第2話 自分の本音をとことん突き詰める
- 第3話 はじまりは月給8万5千円。10畳2名の極貧生活