1966年3月15日生まれ。
日本大学農獣医学部中退。…(詳しく)

【
Webシステム開発
】
テックベースでは設立よりこれまで、Java、.Netを中心とした技術を基盤として多種多様な業種・業務のWebシステム開発に取組み、ノウハウを蓄積。

【モバイルソリューション 】
携帯に関するシステムの開発などを、企画の段階から設計、開発、運用までトータルでサポート。
第1話 大学1年の終わり。中退届と同時にスタートした、私の人生。
大学1年目。キャンパスライフ中でも、一般的には最も期待に満ちている年、大学1年の終わりに、私は大学に中退届を提出しました。
アルバイト先の横浜駅地下のスパゲティ屋で仲間とワイワイ働いている方が、眠い目をこすりながら教室で講義を聞いているよりも、私にとっては数百倍も楽しかった。学校から足が遠のき、単位も遠のく。「留年してもきっと続かない」と思って大学を退学したのです。
大学を辞めて最初にした仕事が、電話機の営業でした。当時は、電電公社からNTTへ移行する期間で、商店街を訪ねてはお店のご主人に営業するのですが、5台売ればそれなりの収入になりました。昼間はファミレスやパチンコ屋によく出没して、午後3時くらいから「そろそろ仕事するか」と売り始める、そんな社員でした。入社1年経たずに、グループリーダーを任されると、部下と一緒にパチンコ屋へ行っていましたね。それでも食べるに困らないくらいの収入がありました。
営業をしながらも、手に職をつけた方が良さそうだと感じていた20歳の頃。
初めて、仕事について真剣に考え始めました。
「手に職」と言っても、20歳を過ぎて職人や板前の道は難しい。
そう思いながら、就職情報誌をパラパラと見ていた私の目に飛び込んできたのは、IT技術者の道でした。
もちろん、この分野の知識や経験もゼロ。
「なんとかなるだろう」と受けた1社目の面接で内定。エンジニアとしてのキャリアがスタートしました。その会社を選んだ理由? 10時始業だったから。「あぁ、朝ゆとりがあるのはいいなぁ」と思ったんです(笑)。
経験も知識もゼロからのスタート。
「きっと大丈夫だろう」という淡い期待は見事に覆りました。社内の技術テストで最下位になってしまい、当時の上司たちは配置換えの時に「(自分のチームに)川守田だけはいらねぇ」と言っていたそうです。
基礎もなくて、ただ言われるままに開発作業をする日々が続きました。 夜明け前が一番暗いといいますが、まさにそんな感じでしょうか。
当時のスタンダードであったコボル言語での開発が続いたある日。入社以来、五里霧中の状態で開発を続ける私の中で、閃光が走るような、霧が一気に晴れるような瞬間が訪れたのです。
今まで部分的にしか理解できなかったプログラミングが、一瞬にして全体を俯瞰的に理解することができたのです。「ああ、そういうことか!」と納得できた瞬間でした。
今振り返ってみると、それまでの仕事は、一度どこかで書かれた言語の「答えを写す」ような開発の仕方だったのですが、この仕事は開発経験や事例が全くなく、「自分で調べて、推測しながら組み立てる」作業の連続でした。それが良かったんでしょうね。積み木を積み上げるように確かめながら開発したことによって、理解度が飛躍的にあがって「見えた!」という瞬間が訪れました。それからは、開発の仕事がグンと楽しくなりましたね。
その後、私はこの会社を4年勤め、その後、起業に至るまで4社の開発会社を経験することになります。その経緯と、起業に至るまでのいきさつを、次回ではお話したいと思います。
(続く)
- 第1話 大学1年の終わり。中退届と同時にスタートした、私の人生。
- 第2話 仕事の原理原則が見えてきた。そして―― 起業。
- 第3話 “会社の未来を拓く種”は、社員のやりたいことの中にある。