【 スパイラル・メッセージングプレース(R)】
スパイラル・メッセージングプレース(R)は企業様のあらゆる情報を安全に管理するASPサービスです。
メールマガジン受付やアンケート、資料請求等、Webで収集するお客様情報をしっかりと管理し、ユーザー様のご要望に柔軟かつ幅広く対応できる機能が満載です。更に、担当者様が一番不安な導入時や運用中のサポートに関しても、数多くのお客様に支持されています。現在、その信頼性はアクティブユーザー数 1245アカウント(2008年8月31日現在)もの多業種に渡る実績が証明しています。
1972年11月12日生まれ。
九州大学大学院人間環境学研究科
都市共生デザイン専攻博士後期課程修了。…(詳しく)

第1話 「データベースの銀行」誕生前夜
パイプドビッツは、「データベースの銀行」という事業コンセプトを掲げ、お客様の情報資産を安全にお預かりし、管理・運用するサービスを提供しています。
創業7年目の2006年に東証マザーズへスピード上場をとげたのも、ISOをはじめとした様々な認証を取得しているのも、全てはお客様に安心して情報を預けていただくために他なりません。2008年10月には、ASP/SaaS型CRM市場マーケティング分野の国内ベンダーシェアNo.1(※)という評価をいただきました。
これらパイプドビッツの軌跡は、決してドラマティックだったわけではありません。
ただひたすらに「データベースの銀行」という事業コンセプトを追求し、形にし続けてきた結果です。
それでは、私の学生時代からお話しましょう。
アルバイトと建築の研究に明け暮れた9年間
大学は九州大学工学部の建築学科に入学しました。一人暮らしを始めたばかりの私は本当にお金がなく、アルバイト三昧の日々でしたね。建築学は好きだったので、建築の勉強をしているか、アルバイトをしているか、家で寝ているかという生活。サークル活動や遊んだ記憶はほとんどありません。
アルバイトの中でも長く続けたのはレストランバーでした。夕方6時くらいから深夜1時、遅いときは3時頃まで働き、翌日授業がある日は朝の8時30分から大学で講義を受けるという結構ハードな生活を続けました。
大学院への進学を希望していた4年生の私は、卒論を書くため研究室に入り、興味があった都市計画の中から“景観”を研究テーマに選びました。ちょうど九州大学の移転プロジェクトが立ち上がった頃で、そのプロジェクトを事例に卒論を書きあげました。
修士課程1年の時も映画を題材に景観を研究しましたが、博士課程に進むにあたり、研究テーマを“土地利用”に変更しました。ちょうど規制緩和がされ、郊外を中心に大型ショッピングセンターが至るところに出店されていた頃。そういった商業施設が、本来その都市が持っていた文脈を壊してしまっている例が多くありました。
それらの事例をモデルに、「元々のこの街の規模だと、商業施設の適切な規模はこれくらい」だとか、「この場所に、これくらいの商業施設ができたらどうなるか」などを研究し、博士論文を出しました。
いずれも土地利用や属性のデータをソフトウェアに入力し、自ら作成したモデルに対してシミュレーションして結果を導き出すものでしたが、ソフトウェアのためのデータに疑問を抱いたのはこの頃からかも知れません。
時代の後押しを受け、起業へと突き進む
大学には大学院の博士課程含めて丸9年間籍を置きました。
卒業する年度の12月に学位論文を提出し、これからのことを考えました。元々、大学で学んだことと就職先をリンクさせなければならないという考えは持っていなかったので、新卒で就職活動をする気はありませんでした。
修了を間近に控えた1999年は、折しもITブーム真っ盛り。
大学の仲間との話題にも、“起業”や“M&A”などビジネスの話題が多く上っていました。大学入学時から振り返ってみてもインターネット環境は劇的に変わり、Window95や98がリリースされ猛烈な勢いで社会に普及していました。学生時代はそういった現象を目の当たりにしていたので、当時からインターネットの可能性は感じていましたが、“インターネットビジネス”といえば“広告”が思いつく程度の浅い理解でした。
いよいよ学生生活も本当に終わりなのだという強烈な感慨を抱いていた12月。大学の恩師の後輩が経営するIT関連事業をしている東京の会社に、インターンのような形で実際の現場を見せていただく機会を得ることができました。 そして、この経験が起業へのきっかけとなったのです。
インターン先では営業同行や業務の手伝いをさせていただきました。インターネットを使って販促のアウトソーシングを受託する事業を実際に経験することで、それまでぼんやりしていた“インターネット”というものが、私の中でビジネスとリンクしました。「インターネットを使えば今までとは違う形のダイレクトマーケティングができる」。このことを理解した私の頭の中には、インターネットを使った新しいビジネスアイデアが次々と湧きでてきました。
そこで社長にそのアイデアを話したところ、ITブームの真っ最中という背景もあるのでしょうが、とんとん拍子に社長から出資していただけるという話になったのです。そして大学院修了と同時に大学時代の後輩達と会社を立ち上げることになりました。
サイバーエージェントが3月に、オン・ザ・エッジ(現LDH)が4月に上場した、ITバブル絶頂期の2000年春のことでした。
(※) ITR Market View:CRM市場2008(2007年度)より
- 第1話 「データベースの銀行」誕生前夜
- 第2話 成功への「確信」
- 第3話 「データベースの銀行」が秘める可能性と、描く未来図