1. ホーム
  2. 就活BOOK
  3. 起業家物語
  4. 株式会社ベーシック

起業家物語

「バカ君」からの脱却

「バカ君」からの脱却

弊社は現在設立3期目のまだまだ小さなインターネットメディアの企画運営会社ですが、「日本一のメディア

カンパニー」を目指して日々邁進中です。
僕が社会人になり起業に至るまでには、23歳から約10年間の時間を必要としました。その間のさまざまな経験で培ったもの、一社員として必要と感じたものをこれからお話していこうと思います。

ニートから奮起し、バイトそして社会人へ

それはちょうど22歳。高卒だった僕は最近で言うニートのような存在で、奮起して始めたアルバイトは某有名企業のビルで働く清掃スタッフでした。このバイトでは、ビシッとスーツを着こなす、とてもカッコいいビジネスマンと頻繁にすれ違う。華麗にも見えるこのビルの中にいる自分は汚れまみれの作業着でなんとも情けなく、受付の女性に見られるのが恥ずかしくて・・・。

今思えば彼女たちは見てもいなかったと思いますが、「いつかこんなカッコいいビルで、カッコいいスーツ着て仕事してやる!」と強く思ったことを覚えています。当時は何をしても、「こんな仕事俺の仕事じゃない」と思うぐらいプライドだけは高く、現実をしっかりと把握できない若造でした。

その後、再び奮起して社会人になったのは23歳の時。当時の僕は思い返しても、本当にひどい有様でした。僕のあだ名は「バカ君」。一般的な社会常識は皆無で、自分で思い返してもひどいもので、毎日社長から厳しく叱られていました。今思い出してもその社長の叱責はあまりにきつく、会社に戻ると思うと動悸が起こったり、帰社時に会社のドアを開ける手が震えて止まらなかったりするほど。休みの日に突然、呼び出されることも多々ありました。

そんな辛い社会人生活でも、入社時に一つ心に誓ったことがありました。それは「何があっても、決して逃げ出さない」ということ。それまでの自分は何をやっても中途半端で終わっていたし、そんな自分とは絶対に決別したかった。その強い思いを支えに、1年目はとにかく歯を食いしばったんです。でもこれこそが、その後の大きな成長のきっかけになったと考えています。

この会社はNTT認定の工事事業者を対象にしたいわゆる商社。しかし実態は商社とは名ばかりでいわゆる「何でも屋」。僕が入社した時点で設立17年目、社員数5名と、とても不思議な状況(離職率が非常に高い状況)でした。
そのような中、2年目には会社の売り上げの8割を僕自身が上げる状況になり、そこからさらに4年半勤めたのですが、気がつけば社員数は20名を超え、年商も6億円と飛躍的な成長を記録していました。

しかし労働環境は4年半通して改善されることはなく、社員の気持ちを無視した言動やモチベーションを低下させるマネージメント。そのたびに社長とぶつかっていました。いろいろな思いが交錯する中、「もっと外の世界で自分の実力を試したい」「もっと皆が活き活きと働ける場をみつけたい!」そう奮起して、転職を決意したのです。

転職先で見つけた「組織マネジメント」の答え

2社目の転職先は、当時話題のグッドウィルグループの子会社。直前に上場をしていたグッドウィルグループは1株1億円の値が付き、時代の寵児として折口社長がスポットを浴びていました。
僕は恥ずかしくも、その辺りの事情を知らずに入社したのですが、当時その子会社も翌年には上場する勢いで急成長しており、そんな状況に魅了された多くの人々が誇らしげな経歴を胸に意気揚々と転職してきました。

当時はネットバブル全盛期。その時代の波に乗り遅れないよう、ここでもネットビジネスの立ち上げを行っており、僕の配属先はまさにそのネットビジネス事業部。しかし実情は会社としても全くノウハウのない中でのスタートだったため、立ち上げは非常に難航していました。僕はその状況を横目に、物流事業の別プロジェクトを責任者として任されることになり、以後約8ヶ月の間、倉庫に缶詰となりました。

そのプロジェクトはと言うと・・・、スタッフ100名を稼動させながら、10万枚の中古CDを流通させるというもの。当然ながら全くの素人の僕が責任者として回す規模ではありません。

ですから連日の徹夜は当たり前。生まれて初めて喘息が発症したことからも、その壮絶さは想像がつくかと思います。結果を出すまでにはかなりの試行錯誤がありました。しかしそこで、前職でははっきりした答えが出せなかった「組織マネージメント」を行う上で必要なことを学ぶことができました。最も重要なことは「相手(人)への配慮」「モチベーションの維持」。これにより、この困難なプロジェクトを形にすることに成功したのです。

プロジェクトを終えて社へ戻ると、今度は別の問題が浮上していました。
ネットビジネスの新規プロジェクトはほとんど進んでおらず、社内は営業・開発とのトラブル続き。皆が殺伐とした雰囲気の中、連日終電まで仕事をする最悪の状況。その原因の多くは、それぞれの立場を理解しない一方的な考えの押し付け合い。そのような状況の間を取り持つ企画セクションに配属となり、再度調整の日々に明け暮れます。そして、ようやく状況が好転した矢先、ネットバブルが崩壊…

その後は悲惨な状況で、キャピタルゲイン目当ての人は蜘蛛の子を散らすように退職し、社内はますます混沌とした雰囲気に包まれていきました。そこから残されたメンバーでネット事業を推進しますが、結局、社の方針でその事業も撤退することに。残務処理に追われる日々を過ごしていると、既に退職をしていた元上司から「某社にて新規事業の立ち上げを行うんだけど、一緒にやらないか」と声がかかってきました。

ここまでが30歳目前までの仕事人生です。全般的には過酷なことが結構多かったと思いますが、この苦労が次の転職で花開くのです。

プロフィール

株式会社ベーシック
代表取締役 秋山勝
1972年2月7日生まれ 東京都出身

会員ログイン

パスワードを忘れた場合

  • 会員登録で就活準備をする(登録無料)
  • 会員のメリット

PR情報

賃貸のことならHOME'S賃貸

賃貸のことならHOME'S賃貸

就活も部屋探しもダンドリが大事。豊富な物件数に自信アリます!

PR情報

無料!メルマガ登録で当たる!

無料!メルマガ登録で当たる!

大阪でお部屋探しや吉本、IKEAが楽しめる新生活イベント開催!

編集部ニュース

内定にぐぐっと近づくコーチング講座

内定にぐぐっと近づくコーチング講座

ただの内定じゃない、人生の質が高まる内定が欲しい人限定!

ベンチャーセレクション vol.4

ベンチャーセレクション vol.4

就活生必見の就職情報誌。社長で選ぶスペシャル情報マガジン

ページトップへ戻る