“ゲーム”をゲーム機から開放する。インディソフトウェアの挑戦。
“ゲーム”というコンテンツを、パソコンやゲーム機などのプラットフォームから解放する。そして、あらゆるサイトに、当たり前のように私たちの“ゲーム”がある状況をつくり、多くの人に楽しんでもらう・・・これが、僕たちインディソフトウェアが目指すビジョンです。
企業広告をゲームにいれるアイデアを先駆けて実施し、それはいまやゲーム業界の常識になりつつあります。そうした新しいゲーム業界のビジネスモデルを創りだすことは、私たちベンチャー企業だからできることだと考えています。僕の大学時代から起業までに至る経緯までを順に、お話したいと思います。
就職の軸は「モノ作り」「グローバル」そして、「人」。
大学に入学直後の僕は、テニス&スキー&イベントのサークルに所属し、飲んで、唄って、踊って、打って(麻雀)という毎日を楽しく繰り返していました。大学1年の秋から塾のアルバイトを始めました。その塾の経営者がとある進学校にヘッドハントされた時は、責任感も感じていて、かなり力を入れてやっていましたね。今思えばその体験もいい経験になっていますね。
大学3年になると、ゲーム制作のアルバイトをリクルートで始めました。そのバイトをしていたサークルの先輩がアメリカ留学することになり、ゲーム好きの僕に声がかかったんです。塾の経営より、“ゲーム”というソフトウェアに将来性を感じ、大学三年生からは国際経済学のゼミを受けつつ、ゲーム制作のアルバイトに明け暮れていました。リクルートでのゲーム制作の環境は、とにかく面白かった。ゲーム遊び放題でしたしね(笑)。当時そこで、初めてモノクロ版の『シムシティ』をプレーし、単純に驚かされたというだけでなく、感銘を受けました。自分が“市長”になり、都市をマネジメントしていくというシミュレーションゲームとしての面白さだけでなく、「自分でもこんなゲームが創れるんじゃないか?」と思わせてくれるゲームでした。
「こういうモノを作る仕事がしたい」。そう思いつつ、僕の就職活動が始まったのです。
就職活動でこだわった点は3つ。
「モノ作りに携われる」こと、「グローバルである」こと。そして、「人」です。
選考を受けた企業はメーカー系が多かったです。他にも鉄鋼や商社、金融など7〜80社は受けました。就職活動を通してたくさんの企業や人と会ううちに、仕事のスキルを身に付ける以前に大切なものがあることに気づかされました。ビジネスマンとして最初に入る会社は、社会人としての土台を作る大切な会社。「一緒に働きたいと思える魅力的な人がいる会社を選ぼう!」と、よりいっそう「人」軸で考えるようになりました。
いくつか内定をもらった中で、外資系メーカーへの入社で心が決まりました。
その会社は、新人研修として8ヶ月間アメリカ留学があり、グローバルな仕事ができるという点でも非常に魅力的でした。また、人事担当の方との出会いも大きかったです(彼とは採用担当対学生という関係ではなく、友達のような対等な関係でいられ、リクルートに入ってからも親交は続きました)。
リクルートへの入社。コンテンツ制作への想い。
ところが、結局リクルートに入社することに(笑)。
外資系メーカーのスマートなビジネスキャリアより、もっと根が太く、地に足の着いたビジネスパーソンになるにはリクルートだ、と思って決意しました。それと、当時“ミスターリクルート”と呼ばれていたリクルートの藤原和博さんが「お前のサラリーマン人生、俺がプロデュースしてやる」と言ってくれたので、「これはおいしい状況だ!」と思ったのが理由のほとんどです(笑)。
・・・藤原さんは僕が入社してすぐ、ロンドン大学の客員教授に呼ばれて留学してしまいました。素晴らしいオチですね(笑)。
次回は新しい流通ルートの開拓について、お話していきたいと思います。
株式会社インディソフトウェア
代表取締役社長 野津幸治